トメク・ボグダノヴィッチ:
1971年、ロンドンのポーランド系の家庭に生まれる。両親の出身はグダンスクとクラクフ。文部省の研究プログラム奨学生として、日本におけるアイヌ民族とその暮らしに関するヴィデオを撮影する目的で2000年に北海道に来る。それ以外にも多くのアイヌ社会を題材としたプレゼンテーションやドキュメンタリーフィルムを撮影する。また、日本の英字雑誌にアイヌ民族とその抱える社会的な諸問題に関する記事をしばしば執筆している。最近まで妻のユウコならびに息子ノアそして娘アーシャと札幌に居住していたが、現在ニュージーランドへの転居の最中である。マオリ民族とアイヌ民族の間の文化交換プログラムの実現・組織化を手伝いたいと考えている。
「アイヌ復興-『穏やかな民族』、そしてポーランドとアイヌのロマンス」の章を執筆。
パヴェウ・ディヴァワ:
1981年8月6日、オストルフ・ヴィェルコポルスキに生まれる。そこで3つの(ママ!)幼稚園と、小学校そして高校を卒業。ヤギェロン大学日本学科卒業。2003/2004年度、学術奨学金を受けて札幌の北海道大学で過ごす。雑誌『漫画人』の寄稿者。世間ではアニメとかマンガとか呼ばれている、日本の子ども向けの童話や絵本を翻訳している。「Japonia w subiektywie」というタイトルの写真展を主宰。北海道大学学生寮の恵迪寮のフリースタイル相撲団体競技で、準優勝を二回勝ち取るが、個人としては体重はフェザー級である。血液型はA1(Rh+)だが、これはどんなことでも意味しうる。既婚。
「ヒステリーを管理する方法」の章を執筆。
エヴァ・グレイヴ:
旧姓はペチャク。1971年12月22日、オポレで生まれる。アメリカ合衆国ミネソタ州のセント・クラウド大学で5年間学ぶ。専門は英語教育法。講師として日本で8年間働いている。ここ5年は藤女子大学、北星学園大学そして北海道大学での仕事に従事している。2006年4月からは、室蘭工業大学の助教授をしている。
「山と山は近づかない - おとなしい北海道の人々」の章を執筆。
松家 仁:
1966年12月10日、東京で生まれる。戦間期ポーランドが関心領域。大卒。札幌に近い小樽に居住。小樽商科大学で助教授として働く。典型的な日本人で仕事が趣味。ポーランドに惚れており、ポーランド語も含むポーランドに関することなら何でも好き。
「日本・ポーランド関係についての若干の愚痴」の章を執筆。
ピョトル・ミレフスキ:
1975年10月30日にヘゥムで生まれ、オポレで育つ。ポズナン経済大学(博士号もそこで取得)ならびにパッサウ大学(ドイツ)を卒業。アメリカ・ペンシルヴァニア大学(ウォールトン・ビジネススクール)ならびに小樽商科大学で研究を行う。現在日本に居住。趣味を仕事としており紀行作家、写真家でもあり著述家。ポーランドならびに日本の雑誌に寄稿。現在エチオピアに関する著作を執筆中。
「夏と冬のカーニヴァル」ならびに「ジンギスカン、すなわちグリル料理とは?」の章を執筆。
ミハウ・エドゥムント・タデウシュ・「鳥」・プタスンスキ:
1981年5月20日、ヴロツワフに生まれ、現在も居住。ポズナンのアダム・ミツキェヴィッチ大学新文献学部日本学科を卒業。2002年には全国日本語コンクールで優勝。札幌の北海道大学の政府奨学生。日本および日本文化に関する雑誌に寄稿。趣味:ルーペで蟻を焼くこと、日没の写真を撮ること、実存的問いに対する答えを探すこと。本が刊行された後に生ずるであろう噂に対する責任は取りたくないと力説しているが、その理由としては、その噂には根拠がなくかつ(申し訳ないが)それはでっち上げだからだ。それに対して事実としては、彼は風俗に関する章を書いている。しかしそうだからといっても、彼がスケベだというわけではない。まあ、ちょっとはそうなんだろうが。
「北海道の密林と札幌のジャングルの掟」の章を執筆。
ラファウ・「蕪」・ジェプカ:
1974年7月28日、シュチェチンで生まれる。ポズナンのアダム・ミツキェヴィッチ大学新文献学部日本学科を卒業。札幌の北海道大学工学部、工学博士で、かつそこで助手(専門:人工言語)として働く。職業上の関心は、常識的知識処理、言語獲得、データのテクスト・マイニング、認知科学、人工知能の哲学と倫理。趣味は、遠距離・近距離の旅行、読書、映画、メディアと格闘技である。自由時間には日本語の翻訳に従事(20社以上の日本企業ならびにいくつかのポーランド企業・組織で翻訳に従事)。
「聖なる安らぎの島」の章を執筆。
ピョトル・ヴェングジノヴィッチ:
1970年1月22日、ワルシャワ郊外のプルシュクフで生まれる。ワルシャワ農林高等学校林業科を卒業。ポーランド科学アカデミー動物学博物館・研究所の専任講師。南アフリカ(エクアドルとコロンビア)、アジア(ヴェトナム、日本ならびにインドネシア)、オセアニア(ニュージーランド)へと新種の生物を探すために研究旅行を繰り返す。日本政府奨学生として北海道大学で二年間研究に従事。大卒の森林管理人になる機会が得られなかったので、大卒の実務編集者となる。自由時間は、絵を描いたり写真を撮ったり旅行したり、面白い本、例えば北海道についての本を編集するのに没頭する。
「ジンギスカン、すなわちグリル料理とは?」ならびに「エビからクマまで、北海道の生き物について」の章を執筆。
ピヨトル・フェリクス・ヴィルク=ヴィトスワフスキ:
1902年4月13日に、ジェシュフ郊外のシェドリスカに生まれ、1960年3月4日、アメリカのプラスキという町で亡くなる。1918年修道会に入る。ルヴフのヤン・カジミエシュ大学神学科で哲学・神学を学び、神学修士号を取得。1926年司祭資格を得て、聖職者として働く。民衆のための良き伝道者ならびに瞑想者として知られる。1930年9月23日、来日するが半年で布教活動を断念。第二次大戦勃発後はハンガリーへと苦労して移り、そこで1944年までポーランド人軍事収容所の司祭ならびに難民のための宣教師として働く。1944年にゲシュタポにより逮捕され、、まずマトハウゼン強制収容所、次いでダッハウ強制収容所に収容される。1945年の解放後、オーストリアとイタリアを経由してアメリカへと移住し、そこでポーランド移民のための宣教師として生涯を全うする。
「太陽の国、極東の国、日本から」の章を執筆。
ウカシュ・ザブウォンスキ:
1976年11月21日に、スウプスク近くのミャストコで生まれ、現在ポモジェ県のコチャワに住む。ポズナンのアダム・ミツキェヴィッチ大学外国語学部(ドイツ語科)を卒業。さらにヴィャドリーナ・ヨーロッパ大学文化学部を卒業。その間、南米コロンビア国立大学で半年間の奨学生生活を送り、またインターンとしてボゴタの文芸誌El Malpensanteの編集部で働く。今日、北海道大学言語文化部で研究している。趣味は文学、音楽、映画、山歩きそしてスポーツ(特にサッカーと卓球)である。
「温泉」の章を執筆。