北海道

芸者と侍のいない日本

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序文

ピョトル・ヴェングジノヴィッチ

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ヤポニヤ!日本、桜咲く国よ!僕はボーイング機の窓の向こうに広がる光景を凝視する。十数時間ものフライトの間、酷く熟睡できなかった。なぜなら、心の昂ぶりと激しい頭痛で眼が冴えてしまっていたからだ。所々黄緑色に染まっている地平線を覆う濃緑色のエゾマツの森林から僕は視線を反らすことが出来ない。「黄緑の染みはきっと白樺だ」「11月の末だから、まさにそういう季節だ」

空から見た北海道は、ポーランドの景色そのままだ!あたかも地球を一回りしてワルシャワ郊外の何処かに着陸するかのようだった。たった一日の間に気候も風景も次々と様変わりしてしまった。ワルシャワのオケンチェ空港には11月の寒さ、見慣れた風景、そして閑散とした建物。それに対して名古屋では8月のような酷暑、全く見慣れない風景、人混み、そして人を圧倒する建築物。そして旅の終着地である北海道の中心都市、札幌では再びポーランドのような寒さ、閑散とした景色、そして人影の少なさ。ちょうどこの日、札幌では初雪が観測された。これは吉兆だろうかと僕はしばし考えてみる。あとで分かったのだが、それはまさしく本当の吉兆であった。

幸運にも僕は二年間、北海道の札幌で暮らすことになった。きっと生涯、稀有な冒険としてここでの暮らしを忘れないだろう。記憶に残る数多くの光景や出来事の中で、現場で生ずる現実と、僕がそれまで日本について想像してきたものとは、日々衝突し、時にそれは激しいものであった。この点で僕は特に変った人間ではない。ただ、外からの刺激を受け入れる時は、何でも触れてみないといられない。もちろん時にこれは厄介なことだと認める。日本をテーマとしたありきたりな情報は、日常的に吹き込まれ、記されそして伝えられている。結局、日本とは遙か彼方の謎めいた国であり、そして遙か彼方の謎めいていることに人は陶酔し話を誇張する。そこでいつも吹き込まれるのは、黒澤映画だったり、侍や数多くのハラキリだったり、芸者とその多くの特徴だったり、空手や伝統と混じり合った高度な技術、その他数多くの日本を連想させかつ想像力を作用するようなフレーズばかりとなる。そして残念なことだが、大抵の事例においてポーランドでの日本についての知識は表面的であり、ステレオタイプで覆われている。

「なぜこうなっているのか?」という疑問が直ちに口をついて出る。日本を個人的に訪問する機会がポーランド人にあまりないからだろうか?決死の探検に出かける機会に恵まれたとしても、きっとそれは数日間のしっかりお膳立てされたパック旅行の枠内で、たかだか数ヶ所の観光「スポット」を訪れる程度になってしまうからなのか。生魚や発酵させた大豆やその他の特産の珍味を賞味して、強く印象に残ることは当然である。でも、これらの「異国のもの」を日本にはこれしか興味深いことはないかのように提示するとすれば、それはもう誇張である。確かに、短期間日本に滞在しただけなら東洋の特異さに咽せてしまうのが普通なのだと僕は認めてもいい。しかし、日本で数年間も暮らした人々が、この国についてなんだか途方もない物語を記すような状況は、僕には不愉快である。ありのままを伝えるだけで、遙かに面白くなるのに!

もしかしたら、周知のように人間は安易に物事を片づけてしまいがちだからなのか?安易さに流れることによって、情報の受け手が無意識に期待していることを与えてしまい、ここでは即ち、美しいが僕らに理解できない文化を持つ得体の知れない国、身内で固まっていて関係を結ぶのが奇跡に近いような閉鎖的な人々が住んでいる国、地震と台風と津波と神風以外には何もない国というイメージを示すことになる。おそらくこういった経緯から、大笑いを誘うような読後感しか持てない駄作(しかもその笑いは、本の中のジョークが面白いためですらない)が数多く刊行されているのだろう。

こうして、友人たちと共同で一冊の書物を書いてみようという着想が僕の中に芽生えた。この書物には二つの主要課題がある。第一に、日本で最もポーランド的な島であるにもかかわらず、我が国では冷淡に取り扱われ、実際によく知られていない島に親近感を持ってもらうこと、次いで偏執的に何度も繰り返されてきた日本のステレオタイプの内幾つかでも覆すことだ。

2004年の末には、すでに着想は固まっており、友人である札幌のポーランド人たちと分担して取り組む時が来た。札幌に住むポーランド人の仲間たちは、この提案に積極的にそして全く熱狂的に応えてくれた。協力を申し出る仲間の多さとその情熱は、率直に僕にとても嬉しい驚きをもたらしてくれた。僕は、その時すでに同様の考えや感情が北海道の寒気の中をうごめいており、ただ本を出そうという着想が触媒となって引き合わせたのではないかと思っている。原稿を書かないと決めた人ですら、本の制作に積極的に加わり、この著作の完成に大いに貢献した。「何かのきっかけで」とはいえ、僕らが共同で「課題」に取り組めたことで、ポーランド人に対する否定的なステレオタイプ(この場合、外国でポーランド人同士は協力し合えないと言われていることに関するものだが)をも覆すことができたように思える。

北海道は、他の三つの島と異なっている(もちろんそれぞれの島はみな異なるが)。自然環境、メンタリティ、言語、建築、歴史、工業化そして他の多くの細かな点でその相違に気づくことができる。それでも日本に変わりはない。ここから直接、僕らの著作のタイトルを採った。

ここに読者の方々に紹介する著作は、北海道に関する多彩な問題に捧げられた諸章を編集したものである。各章で著者は可能な限り分かり易く、単に理論的な知識のみならず、自分の(時には長年の)生活経験と観察に基づいた経験的な知識もとりわけ紹介している。それゆえ読者は、一般に言われているステレオタイプときわめて頻繁に矛盾するような個人的経験を著者が数多く援用しているのに気づくだろう。

読者がこの著作を心地よく読んでくれることを、著者一同期待している。



「太陽の国、極東の国、日本から」

ピョトル・ヴィルク=ヴィトスワフスキ

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この文章は、1931年1月25日の『ワルシャワ新聞』に掲載された記事を忠実に再掲したものである。著者は、フランシスコ会修道士ピョトル・ヴィルク=ヴィトスワフスキ神父。布教という厳しい任務を担い、彼は北海道という寒い島へと向かう運命を負っていた。北海道には半年しか住まなかったが、彼はこの北方の島について、さらに日本人の暮らしと特徴についてきわめて正確な観察を残している。オリジナルが刊行されてから75年も経ったが、当時の雰囲気と現実を再現するために、その時代のポーランド語の正書法と文法をそのまま残し、また何らの省略もしていない。



「聖なる安らぎの島」

ラファウ・蕪・ジェプカ

Rozdział 2 - winietka

日本に少しでも滞在したことのある外国人は自らの体験を脚色し、さらには神秘化することさえある。例えば、ポーランドでは「ボルシチのように安い」商品が、桜の国日本では3倍、4倍もの値段が付いていることを紹介し、日本の物価がいかに高いかを記す。しかしそう書いておきながら、相対的な価格や平均賃金について一言も触れなかったり、あるいは日本よりもポーランドの方が3-4倍高い例を挙げなかったりする。もしこういったことを書いてしまえば、印象が薄くなってしまうし、さらに読み手や聞き手は、自分がどんな情報操作にあったのか気づいてしまうからである。そこで、ここでは逆のパターンを示そうと決心した。身の回りや自分自身に関する(反)例となるものを取り上げて、日本についてのステレオタイプという名のウイルスを処方したい。



「山と山は近づかない - おとなしい北海道の人々」

エヴァ・グレィヴ

Rozdział 3 - winietka

私の勤務する大学の女子学生に、北海道は何が有名なのか尋ねてみたところ、たいていの学生からは、美しい自然、新鮮な海産物、ウインタースポーツ、さらには氷と雪で彫像を作る雪祭りが挙がってくる。ある学生は、北海道のあまり知られていない重要な特徴として、「協調的な性格」を指摘してくれた。本州即ち内地の住民と比べると、北海道の人々はあまり争わない。ただし、そのおとなしい性格を説明するには、まず日本人全体に共通する文化的価値観を事前に知っておく必要がある。



「ヒステリーを管理する方法」

パヴェウ・ディバーワ

Rozdział 4 - winietka

日本全国をヒッチハイク中の夏のある日(台風の接近に伴いあまりよい天気ではなかったが)、福岡(九州)の市立公園の最も印象的な一角にテントを張った。なぜそこが最も印象的だったかと言えば、そこには小川が流れていたからだ。静寂の中でせせらぎの音を聞きながら、すっかり叙情的な雰囲気の中で眠りにつこうとしたその時、「ビー」という短い音が聞こえ、それから全く何も聞こえなくなってしまった。不思議に思ってテントから外を覗くと、小川の溝に水の残りが流れ落ちていくのが見えた。少し調べてみたところ、ちょうど午後10時に小川の流れが止められたのだということに気づいた。さてここで問題だが、この象徴的な実話は、日本のドーピング問題と(それだけではないのだが)、どんな関係があるのだろうか?



「夏と冬のカーニヴァル」

ピョトル・ミレフスキ

Rozdział 5 - winietka

美しい四季――とはいえ等しく四つの季節というわけではないのだが――は北海道の人々の生活リズムを特徴づける。一つ一つの季節は個性的でそれぞれの魅力がある。厳しい冬はあたかも終わりを知らないかのようで、降り積もる雪は北海道の景色を埋め尽くす。しかし、みずみずしい緑と野鳥の囀りで遅い春が突然訪れ、自然は息を吹き返す。春の後には、短く陽光溢れる夏が忍び足でやって来る。それから秋が訪れ、景色はさまざまな色の紅葉で彩られる。そして再び初雪が待ち伏せしている……。四季それぞれに多くのお祭りがあるが、カーニヴァルと呼べるのは冬の雪祭りと夏のよさこいソーラン祭りである。凍って軋む雪を踏みしめるリズムと共に雪祭りは行われ、白い冬の単調さを紛らわす。よさこいソーラン祭りは漁の唄に合わせて踊り、夏の短さを埋め合わせてくれる。人は、毎年この二つの祭りを待ちこがれ、そして熱狂する。これらの祭りがあるからこそ札幌市民は陽気さを失わない。冬のカーニヴァルと夏のカーニヴァル。街はこの話題で持ちきりだ。ここではこれらの祭りについて書いてみる。



「ジンギスカン、すなわちグリル料理とは?」

ピョトル・ヴェングジノヴィッチピョトル・ミレフスキ

Rozdział 6 - winietka

ジンギスカン、グリル料理、ラム肉、北海道。この4つの言葉を日本人なら誰でも論理的にはっきりと一つに結びつける。けれども、ラム肉のグリル料理と北の島を結びつける秘密と謎を解ける人はあまりいない。なぜなら、分からないことの方がその答えよりもずっと多いからだ。まず、どこでこのような料理が出現したのか、そしていったいどのように?第2に、どうして北海道がこの料理の中心地と呼ばれるようになったのか?第3に、いかにしてそして何をつけてそれを「食べる」のか?第4に、駒井氏、新渡戸氏、松井氏の三人に共通するものは何か?そして最後に、かの偉大なモンゴル人の指導者ジンギスカンは、これらのことすべてとどんな関係があるのか?



「北海道の密林と札幌のジャングルの掟」

ミハウ・プタシンスキ

Rozdział 7 - winietka

君には退屈な日常から逃げ出したくなる時がある?架空の国ネバーランドにでも行こうか?ネバーランドと言えばどんなところを想像するだろうか?そこは、天国の楽園のように緑溢れ、妖精の力で人が空を飛べるところだろうか?日本人とは、がさつで粗野で想像力のない人々だとよく言われている。しかし、北海道の人々を観察してみれば、まったく逆のことにぶつかる。自然の美に取り憑かれ他の世界を忘れてしまい、人を惑わせる北海道の森の中に自分のネバーランドを探し求める人たちがいる。さらには、札幌の有名な歓楽街ススキノの妖精たちの抱擁を求める人たちもいる。日本の地図さえ見れば、北海道の森林に気づかないわけにはいかない。しかしススキノは、その知名度にもかかわらず、どんな地図にも載っていない。この二つの場所を結びつけるのは何?また、なぜこの二つは神秘的な場所でありつつも、また同時に危険な場所なのか?日本のネバーランドの歴史とはいかなるもので、どこにそれを追い求めるのか?これらの問いにまとめて答えてみよう。でもこれらのネバーランドのどちらに、あなたが行きたいのかという問いには、読者自身が答えて欲しい。



「温泉」

ウカシュ・ザブウォンスキ

Rozdział 8 - winietka

そもそも水と火という二つの要素を物理的に結びつけることは難しい。水が火を消し、火が水を蒸発させるように、水と火は相反する。ただ未知の自然の力のおかげで、不思議な魔法を使えばこの二つが結合し、神の恵みとなりうると長い間信じられてきた。そして日本人は、天然の温泉でこそ、この相容れないはずの水と火が自然に一体化していると考えている。日本ほどしばしば温泉が話題になる国はないし、またこの自然現象を尊重し厳かなものと見なす文化も他にない。日本の温泉の歴史とはいかなるものであり、そして現代日本の伝統と文化においていかなる役割を果たしているのだろうか?さらに温泉の楽しみ方とその魅力について、この章は取り上げる。



「エビからクマまで、北海道の生き物について」

ピョトル・ヴェングジノヴィッチ

Rozdział 9 - winietka

自然科学者にも旅行者にも、あるいは自然愛好家にとっても、厳しい北国である北海道は豊かな自然の貴重な宝庫である。その宝庫の宝物の一つとして、生き物の世界があり、そこには私たちが深い感動を覚えるような生き物たちが住んでいる。生き物の世界を少しでも知りたければ、まず「大まか」にこの世界にどんなものが生きているのかを知らねばならない。つまり、どんなものがこの北の島を這ったり泳いだり走ったりそして飛んでいるのかを知る必要がある。これらの生き物はどんな姿をしていて、どんなふうに自然の中の暮らしに順応しているのだろうか?生き物は人間にいかなる影響を及ぼし、また人間は生き物にいかなる影響を及ぼしているのだろうか?いったい本当に飼い慣らされていない野生の獣なのか?これらすべてについて、これから紹介しよう。



「アイヌ復興-『穏やかな民族』、そしてポーランドとアイヌのロマンス」

トメク・ボグダノヴィッチ

Rozdział 10 - winietka

北海道について語る本には、この島の原住民であるアイヌの人々と彼らの特色ある文化についての一章は不可欠である。現在、この数少ない少数民族の、現代日本にとっての重要性に触れないわけにはいかない。実際、アイヌの人々の文化を理解することなくして、日本文化というものを十分理解することはできない。アイヌ文化は、他の少数民族の存在とともに、単一民族日本という神話を打ち破る。他人とわずかな言葉を交わす時間すら誰も持てないような、全世界的な現代性と発展というこの無慈悲な現代において、アイヌの人々からかなりのことを学ぶことが出来ると私は感じる。アイヌの人々は、厳しい北の大地でたくましく生き延びてきたのみならず、また日常を美しく磨き上げ、そして彼らを取り巻く自然との精神的な調和を見出した。これこそが、「アイヌ」、つまり完全で真の人間という存在の核心なのだ。



「日本・ポーランド関係についての若干の愚痴」

松家 仁

Rozdział 11 - winietka

この本の企画を聞いたとき、北海道に居住し、ポーランドに関わりを持つ日本人の一人として、私はとてもうれしかった。特に、この本の著者がみな(私よりも)若く、かつきれい事を述べず、率直に日本について意見を書いてくれたことがとてもうれしい。私もなんらかのお手伝いをしたいと思い、さらに双方の相互理解を進めるのに何が必要なのか、率直に自分の経験に基づき書いてみた。自分の経験であるから、かなり偏っているかもしれないが、一つの感想として読んでみて欲しい。